Piyauchenのできるまで・5

続き物なので、1からどうぞ。一つ前の4はこちら。 カテゴリの欄から「できるまで」を選んでいただけば、まとめて読めます。 ーー お稽古場でナンパした先生は2人。二期会合唱団でエキストラをしていた頃何度も原語指導いただいた、ドイツ語の舞台語発音法の大家・高折先生と、メゾソプラノの小山由美先生です。 どちらもとても素晴らしいお人柄に、妥協を許さず優しくしつこく丁寧な(?)レッスン。いまの私があるのは、このお二人のおかげです。 小山先生のところに最初伺ったとき、「なんか得意なものを歌ってみて」と言われ、モーツァルトのアリアを歌いました。(たぶんハ短調ミサのLaudamus teだったと思う)そのときに、「今のやり方でもある意味完成度があるから、私のやり方に変えるとすると一度歌えなくなっちゃうかもしれない」というようなことを言われました。でも、それまでの自分になんというか「ぱっとしねえな」という感じを持っていたし、どうしても小山先生のステキさに近づきたかったので、「どうぞご遠慮なくがんがん変えてください」とお願いしました。 最初のレッスン曲は、ヴェルディのレクイエム。今まで出したことのないような、大胆で太い響き(とそのときは思った)にびっくり。慣れないことをしたので、初レッスンの最後には、声がかすかすでしゃべるのもやっとでした。 それまで、声帯の一部だけを器用に運用していた感じだったのを、全体をしっかり使って歌うようにするレッスンだったように思います。そうすると、声の大きさと支…

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Piyauchenのできるまで4

続き物なので、1からどうぞ。 ーー 研修所でも人手の足りない演目でちょっとメゾの役を歌ったりしまして、少しリリックなレパートリーを試したり、メゾの役を試したりしていました。最終的には、意外とメゾを歌ってるときが体が楽なような気がして、メゾかなあ…と思い始めました。その頃、サントリーホールでオペラアカデミーというレッスンを受けられる制度ができ、ホールオペラの演目のアンダースタディをしながら学ぶことができたので、それに応募してみました。メゾであることには異論がなかったのですが、「バッハとかモーツァルトとかロッシーニがいいところだから、そのへんを勉強せよ」と言われ、中音域のアジリタなどを一生懸命練習したものです。私は立ち(オペラの演技の段取り)を覚えるのが得意だったので、その日いないキャストの代わりに動いたりすることもありました。そうやって実地で勉強しつつ、個人レッスンは一時中断。なかなか「この人だ!」と思える人に巡り会えなかったので、しばらくは仕事をしつつ独学していました。その頃はまっていたのが、Anne Sofie von Otterです。美しく品があり、正確かつ音楽的なアプローチがとても好きで、CDを集めてはレパートリーを片っ端からさらってみたりしました。CDと一緒に歌って、ブレスの感じをまねしてみたり(笑)。 この頃、どうしてもヨーロッパに行ってみたくなり、夏のモーツァルテウムの講習会に参加しました。スウェーデン人の名メゾソプラノKerstin Meyerのクラスをとることができて…

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Piyauchenのできるまで・3

続き物なので、1からどうぞ。 ーー 研修所を大学四年と社会人一年の2年間で終え、アルバイトをしながら合唱のエキストラを始めました。ちなみに、新卒で入社した会社はやめてしまったのです…。9時5時ぴったり勤務を狙って一般職で入ったのですが、なんと運の悪いことにシフト勤務の部署に配属。体調もひどく崩してしまったため、あっさりあきらめたのです。(親は激怒してました、笑)そのとき思ったのですが、まあ健康ならなんとか食べてはいけるよね、バイトでもパートでもすれば…それより今歌をやめたら後悔するなあ…と思って。 当時は「二期会合唱団」という団体がありまして、小編成ながら選任でオペラやコンサートの合唱をやっていました。そこに、必要に応じて配属されるエキストラのアルバイトを始めたのです。研修生を出たばかりの人は、まだ「ソリストになる!合唱なんてあたくしできませんわ、おほほ」的な野心に燃えた人も多かったりするので、とりあえず「やりますやりますやりたいです」と言っておけば、1~2回はチャンスをいただけたのです。(その先続くかどうかは、本人の勤務態度と努力次第ってとこですかね) 合唱団は、オペラならたいてい自分でメイクもしますし、ソロだけやっていたらご一緒できないようなすばらしいオケやソリストともご一緒できて、とても勉強になりました。また、その頃の二期会合唱団は年齢層も厚くて、演技や舞台上のマナーなどもたくさん教えていただいたり、盗ませていただいたものです。 そのほかに、大学1年から東京交響楽団…

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Piyauchenのできるまで・2

続き物なので、1からどうぞ。 ーー さて、大学に入ってからは個人レッスンを受けはじめました。最初はコンコーネとイタリア古典歌曲。そのあとはたぶん、フォーレの歌曲とか。大学での第二外国語がフランス語だったので、フランス語がある程度読めたのでね。そして徐々にオペラアリアをやったり…まあ、普通に。年に一度の発表会では、ドレスを着て歌ったりするのも楽しかったです♪ さて、大学入学時に親と約束した項目のうち、「卒業までに何らかの成果」というのがありました。これ、ホント困る…。何らかってねえ…。とりあえず、二期会とか藤原の研修生になるというのはどうだ?と思いつきました。 となると、一切歌の「試験」を経験していないので、一年前に「下見受験」をしてみることにしました。大学三年のときに、とりあえず二期会のオペラスタジオを受験してみたのです。控え室では、私には十分お化粧しているように見える人々が、さらにがっつり塗ったりしていてびっくりしましたが(バブルな頃でしたし、おほほほ)、今はなき南新宿のスタジオで、オペラアリアなんぞを歌いまして、なーんと合格してしまいました。ちなみにそのときに歌ったのは、LuciaのRegnava nel silenzioとLa SonnambulaのAh!non credea mirartiでした。(どっちも軽いソプラノが歌うやつです、笑) ちなみにRegnava nel silenzioはかなり得意で(?)、研究生時代の声種試聴会では毎回これ歌ってました。今にして…

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Piyauchenのできるまで・1

最近よく「どうやってオペラ歌手(声楽家)になったのですか?」と訊かれます。音楽大学出身でないので、ご興味をもたれるみたいです。というわけで、数回に分けて「Piyauchenのできるまで」を書いていこうと思います。 カテゴリーも新設しました。 ーー 声楽の勉強は、厳密に言うと大学から始めたのですが、実はそのはじまりは小学校四年から続けていた聖歌隊にあります。私は幼稚園から高校までの一貫校に行っていたのですが、そこの聖歌隊で歌っていました。高校からは合唱部に入ったものの、合唱するほど人数はおらず(苦笑)。そして、高校では芸術教科が選択制になるのですが、音楽は人数が多いと「声楽」と「器楽」にわかれるのです。そちらでも「声楽」を選択していたので、けっこう毎日いろいろ歌っていたわけです。 その「選択音楽・声楽」コースでは、毎学期ソロ試験(!)とかもあり、オペラ実習なんぞもありました。女子校なのに!(笑)その頃一緒のクラスで歌っていたのが、今はフランスに在住でニューイヤーオペラコンサートなどでも歌っている大村博美ちゃん。あの頃からオトナっぽい美人で、歌もとっても上手でした。 部活動でもオペラをやったり、個人レッスン的なことをしていただいたりして、けっこう自分でも歌がいけちゃうんじゃないか?的な妄想を抱き始めました。んでもって「音大って行けるかなあ」と考え始めたわけです。 ちなみにそれまでは、けっこう頭も悪くなく、どちらかというとお勉強の成績の方がよろしかったので、親にしてみ…

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