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さて、大学に入ってからは個人レッスンを受けはじめました。最初はコンコーネとイタリア古典歌曲。そのあとはたぶん、フォーレの歌曲とか。大学での第二外国語がフランス語だったので、フランス語がある程度読めたのでね。そして徐々にオペラアリアをやったり…まあ、普通に。年に一度の発表会では、ドレスを着て歌ったりするのも楽しかったです♪
さて、大学入学時に親と約束した項目のうち、「卒業までに何らかの成果」というのがありました。これ、ホント困る…。何らかってねえ…。とりあえず、二期会とか藤原の研修生になるというのはどうだ?と思いつきました。
となると、一切歌の「試験」を経験していないので、一年前に「下見受験」をしてみることにしました。大学三年のときに、とりあえず二期会のオペラスタジオを受験してみたのです。控え室では、私には十分お化粧しているように見える人々が、さらにがっつり塗ったりしていてびっくりしましたが(バブルな頃でしたし、おほほほ)、今はなき南新宿のスタジオで、オペラアリアなんぞを歌いまして、なーんと合格してしまいました。ちなみにそのときに歌ったのは、LuciaのRegnava nel silenzioとLa SonnambulaのAh!non credea mirartiでした。(どっちも軽いソプラノが歌うやつです、笑)
ちなみにRegnava nel silenzioはかなり得意で(?)、研究生時代の声種試聴会では毎回これ歌ってました。今にして思えば、中間音が出しやすかったからですよねえ…、ははは。
せっかく合格したので、大学4年生は授業も少ないし、並行して通うことにしたのですが、最初はホント大変でした。最初の学年ではモーツァルトやるんですけど、レシタティーボ・セッコという チェンバロが♪ちゃりら~ん と和音を奏でるのにのせてイタリア語をしゃべるように歌うやつとか全く未経験でしたし、いろんな常識もしらないし、こんなにいっぱい声楽科の学生みたことないし(笑)…。もちろんオペラの演技も初めて。
年に3回あるソロ試験でも、何を歌えばいいんだ(時間の制限もあるし)とか、何を着るんだとか、もう大騒ぎ。学費もかかるし、バイトはやっぱりやりまくりました。その頃の成績は、年に一度ぐらい90人中10番台に入るかな~という具合で(試験は年に5回あります)、アップダウンの激しい不安定な人でした。
2年目の本科の時に、中間音が出るし、もう少しリリックなレパートリーをやってみればとすすめられたり、メゾが足りない分を歌ったりすることもありました。でもまだ「いやー、ソプラノですし」と言い張っていたんですけどね。まあ、21とかそのぐらいの年齢だったから、あまり重いものとかやりたくなかったし。その頃読みあさっていた声楽の本などには、日本人は声が軽いから重いものをやってはいけない。学生はだいたいそれで失敗する、とか書いてあり、すっかりその呪縛にとらわれていたというのもあります。んー、難しいね、声楽は。
3年目はマスタークラスというのになり、人数は半分に絞られます。私は一応成績としては上に進めたはずなのですが、資金が尽きて一応修了。本科のときは、一応就職して「二足のわらじ」だったのですが、一般職で入ったつもりがシフト勤務になってしまい、ものすごくつらくて会社やめちゃったんです…(苦笑)。なんで、すごく貧乏でねえ…。でも、ものすごく不規則勤務だったので、両立も無理だったし…。
年度末試験の打ち上げでは、学年主任の先生に「なんで上にいかないんだ」としつこく責められたのですが、ないもんはないんだ!!としか言えないしね。親に出してくれとは死んでも言えないし…。
というわけで、本科で研修生を一応修了。事務局には「合唱のエキストラやりたいです」と希望をだしておきました。
大学時代には東響コーラスというプロオケの合唱団で歌っていたりして、現場で勉強したいなあという気持ちも強くあったのです。当時は二期会合唱団という少人数のプロ合唱団があり、オペラや大編成のコンサートには、エキストラを入れていたので、そこで勉強したいと希望を出したのでした。
…3に続きます。
この記事へのコメント
operaview
意外性に、ぽち。
シフトは辛いですよね。
私も挫折しました(汗)
ぴよきち
今は夫がシフト勤務(苦笑)